駿河湾  2012-02-19

清水港と伊豆水軍

きょうの清水

ドリプラのヨットハーバー。今年の冷え込みでは、まだまだ水温むとはいかないようだ。

大河ドラマ「平清盛」を毎回見ている。映像が汚いと某知事がクレームをつけたり、視聴率が芳しくないなど評判はいまいちのようだが、龍馬伝の映像が気に入っていたので、さらに「汚れた」映像からスタッフの気迫が伝わってくる。ただ、瀬戸内の「海賊」がカリブの海賊を連想させる描きかたには、少し違和感がある。
永岡治氏の著書「伊豆水軍」(静新新書)によれば、船の規模が小さかった時代には駿河湾を直行で横断する航路はなかったという。陸地が見えない航海は危険だったからだ。「灘」はサンズイにムズカシイと書くように海の難所を表す言葉だった。「とりわけ遠州灘は、太平洋の荒波がじかに押し寄せる」難関だった。「遠州灘を通り抜けて、駿河湾に入っても船乗りはまだ安心できなかった。駿河湾にも清水港を除けば、これといって良港がなかったからである。」「遠州灘と相模灘という東西ふたつの『灘』に挟まれている」伊豆半島は「太平洋岸を行き来するすべての船が必ず寄港する海上交通の要所だった。」
きょうの清水

清水駅西口の街灯。よく見ると錨の形をしている。見た時は気がつかなかったが、写真で気がつくことが結構ある。

永岡治氏によれば、中世の「海賊」とは土地を持たない「海の民衆」だという。すぐれた航海技術、造船技術を身につけていた彼らを、集団として束ねたものが「水軍」であり、「戦乱の世になると、彼らはその機動力と武力を買われ、あるいは自ら売り込んで権力者に雇われ合戦に出陣することにもなった。」
海賊たちは、海を恐れず、果敢に行動した。東西の海上交通は、彼らによる海上輸送、通商貿易を抜きには成立しなかったのだ。歴史を支えたのは、いつの時代も名も無き民なのかもしれない。
きょうの清水

ドリプラ大観覧車横で開催されている「あっ朝市」で買った「緑嶺」という品種のブロッコリー。スーパーで売られている物より味が濃い。

2012-02-19 | Posted in その他, , 駿河湾4 Comments »