消去される風景  2015-12-26

歳末の風景

きょうの清水

閉店した西友清水店の駐車場でアスファルトを剥がす工事が始まっている。西友と駐車場の間だにあった焼肉店の解体工事も進んでいる。古い記憶をたどると、この建物は中部銀行清水駅前支店だったことを思い出した。

歳末になると、テレビでは懐かしい映像を紹介する番組が増えてくる。白黒や画像が粗いカラーで当時の映像が流れた後に、今の姿が出てくることがある。雰囲気が変わらない人、年相応に変わった人などさまざまだ。懐かしい人の年齢を聞いて驚くことがある。自分より年上だと思っていた人が、同年だったり、同世代と思っていた人が、若かったりする。年齢を客観的に見ることは難しい。

きょうの清水

近所の家の庭で梅の小さなつぼみを見つけた。毎年、同じ木に紅梅と白梅が咲く。

小津安二郎の名作「晩春」で「父さんの人生はもう終わりに近いんだよ」と娘に語るシーンがある。父の周吉は56歳の設定だ。「さざえさん」の父、波平は54歳だ。「さざえさん」が朝日新聞連載となったのは昭和26年、「晩春」の公開は昭和24年だから、ほぼ同じ時代を描いている。昭和25年の平均寿命は男58.0歳、女61.5歳という。その頃、初老と言えば40代を指していた。時代が変わり、周吉も波平も今なら80代という感覚かもしれない。

きょうの清水

江尻船溜りの入口でシラスの網を入れていた。クレーン群は三保、背景の山々は伊豆半島だ。

「晩春」で笠智衆が演じた周吉は「終わりに近いんだよ」と言った後に、「幸せは待っているものじゃなくて、自分たちで作り出すものなんだ」と娘に諭す。今年、娘を演じた原節子が92歳で逝去した。終わりに近いことを自覚するのは90代かもしれない。

まだまだやれるという気持ちが、若い人たちから見たら過信であっても、無いよりはましだと思ってほしい。年寄が冷や水を浴びたいと言ったら、元気ですねと拍手して、すぐに入れる暖かい湯船を用意してほしい。「五十、六十、鼻たれ小僧、七十、八十、人間ざかり」というではないか。自分の年を客観的に見られないのは、若い証拠だと思いたい。

きょうの清水

近所の空地に今年も水仙の花が咲いた

2015-12-26 | Posted in 消去される風景No Comments »