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ひさしぶり、上野千鶴子さんの痛快な主張!

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 9月11日の総選挙で、国会の女性議員数は、戦後最高の43人となりました。
 上野さんは、この主張の中で、「女性公認候補を指名し、比例区の名簿上位にならべた小泉自民党の『アファーマティブ・アクション(積極的格差是正措置)』のせいである。これをもって、自民党が『女にやさしい』政党に変身した、と解釈していいのだろうか?」と問い掛けています。そして、「女が増えたからといって、それで政治が変わるわけではない」と断言しています。

 上野さんは、こう主張しています。

 「民でできることは民へ」というスローガンの小泉構造改革は、20年送れて登場したサッチャー=レーガン改革だと言われている。
イギリスでは、女がトップに立っても、「女にやさしい政治」などもたらさないことを、経験から誰でも知っている。

 小泉政権の進めている改革政治は『自己決定・自己責任』を原則とする。『勝ち組』の女が国会議員になったが、フリーター、パート、派遣労働の「負け組み」の女たちは、『自己責任』だろうか。これらの労働は「本人の選択」ではなく、労働市場の構造的な要因によることはすでに立証されている。

 ネオリベラリズム(*)のもとでの『男女共同参画』の一番わかりやすい指標は、「あらゆる分野における女性の代表性」、すなわち人口比に見合った女性比率の達成である。国会議員の半数を女性に、管理職に女性の登用を…、そして自衛隊にも…、リストラ自殺者の半数を女性に……、? こんな悪夢がフェミニズムの目標だったのだろうか。

 こういう「目標」は、現在の社会のしくみをそのまま現状肯定した上で、その中に「男女共同参画」としようというものである。社会のしくみそのものが、男に有利にできている……、フェミニズムは「こんな社会はいらない」、つまり社会のしくみを変えよと要求したはずだった。

 フェミニズムはネオリベから袂を分かつことになるだろう。」


 上野さんは、フェミニズムのめざす社会を次のように述べています。


 いつでも、誰でも何歳からでもやりなおせる社会を。働き方を選べて、そのことで差別的処遇を受けない社会を。育児や介護が強制労働や孤独な労働にならず、その選択が不利にならない社会を。女が男の暴力やセクハラにさらされない社会を。

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 今、私自身も、男女共同参画社会の実現のために、静岡市男女共同参画審議会の一員として行政へ発言しています。

そして、清水ネット男女共同参画プロジェクトで、公民館の女性学級や様々な場に出前講座など、事業を行っています。それは、とても大切なことです。

 しかし、この上野さんの指摘は、私たちが何をめざしていたのか、大変重く、鋭い指摘です。ほんとうに、男性も女性も、生き生きと心ゆたかに暮らせる社会を、私たちはめざしていたはずです。

 フェミニズムの提起したことを、もう一度、きちんと受け止めたいと思います。


 「フェミニズムはどこへ向かうのか?」
 「ネオリベの下で広がる『女女格差』 男に有利な社会は変わっていない」
 シリーズ〈現在〉への問い 第4部 想像力の行方(4)

 
 毎日新聞静岡版 2005年10月31日付夕刊

 【 ネオリベラリズム(ネオリベ)=新自由主義 】(*)


 政府の過度な民間介入を批判して、自己責任に基づく競争と市場原理を重視し、「小さな政府」を支持する。

 福祉国家の実現や「大きな政府」を支持する昔からの自由主義に対し、夜警国家的(**)な「小さな政府」を支持する立場をとる。1980年代には、この考えに基づき、イギリスのサッチャー政権、アメリカのレーガン政権、日本の中曽根政権のもとで、民営化や減税が進められた。

 【 夜警国家 】(**)


 防衛や治安維持など最小限の役割に限定された国家。

 「小さな政府」とも呼ばれ、新しい自由主義国家を特徴付ける言葉として用いられる。福祉を国家事業として重視する政策は「大きな政府」と呼び、批判する立場をとる。、ドイツの社会主義思想家ラサールが『労働者綱領』(1862)の中で近代自由主義国家を批判して用いた言葉である。

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