結束団結

西久保の氏神様である鹿島神社の右側に道路記念碑が建立されている。大正12年、鹿島神社の前を通る郡道が整備されたのを記念して作られた。道路は現在、庵原方面に向かう路線バスが走る。
この石碑の裏側にはたくさんの人名と、寄付金と思われる金額がびっしりと刻まれている。人名の上に由来が、こう書かれている。
「時維大正十年五月郡道は西久保区裏道え指定された ここに於いて下記五十七名は祖先永住の地を離れるに忍びず 結束団結して旧道改修説を固持し壱か年有半業を拠ち寝食を忘れ苦心の結果 翌十一年九月主張を貫徹せり爾来工を進め翌十二年七月竣工す依って記念の為之を建つ」
昭和36年、清水市との合併で消滅することになった袖師町は、町の歴史を綴った「袖師町史」を町内全戸に配布した。町史には、郡道の改修工事を行なうことになった時、旧道の改修か、新道建設かで論争があったが、地元が望んだ旧道の改修で工事が行なわれたと、記念碑の文面を紹介している。しかし、論争の詳細についての説明はない。
この時代、学校建設は地元住民の助けをかりて建設されていた。道路についても、同じことが言えたのだろう。石碑に刻まれた金額は、地元住民の要望の裏づけとして郡役場は納得したのかもしれない。
石碑の建立から80年になる。大正から平成まで、西久保の歴史に立ち会ってきた黒い石は、どんな想いで現代を見ているのだろうか。
2004年11月4日
【写真上・中】道路建設碑の裏側に彫られた寄付金と思われる金額。5000円から5円まで、金額と名前が記されている。
【写真下】道路からみた記念碑。奥は鹿島神社の社殿と森。