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2005年01月07日 袖師ふるさとの路

(2) 嶺陣屋の松

嶺陣屋の松

袖師ふるさとの路、二番目の「嶺陣屋の松」は袖師小学校の正門横にある。

袖師は、興津に接した横砂村、辻に接した西久保村、その間にある嶺村が合併して袖師村になり、その後に袖師町に変わった。

嶺陣屋の松1961年に、清水市に吸収され袖師町は消滅したが、それまでの嶺が袖師町として名称を受け継いでいる。

嶺陣屋は、もともとは神明神社の東側、4月に桜祭りが開かれる袖師グランドの横にあった。冊子は、次のように解説している。

「永禄11年(1568)武田信玄駿河侵攻の時、本陣が置かれた所で、その後徳川家康の領地となり、宝永3年(1706)嶺村領主曽我伊予守の知行地となってからは幕末まで嶺陣屋として使用されていた」

嶺陣屋の裏門にあった松を袖師小学校に移植して現在に至っている。冊子が作られた頃には松の前に由来を書いた看板があったが、破損したのだろうか現在は見当たらない。


袖師ふるさとの路(2)「嶺陣屋の松」

袖師小学校で6年間を過ごした。途中で木造校舎から鉄筋校舎に移り、袖師町から清水市に変わったことも経験した。嶺陣屋の松への記憶はないが、武田信玄と徳川家康が見たかもしれない松だったことを知っていたなら、その後の人生観が変わった生徒が少なからずいたかもしれない。

●「(2)嶺陣屋の松」をALPSLABで見る35/1/56.478,138/29/35.610

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