≪ 第一分団 | きょうの清水 | ふれっぴー袖師店 ≫

2005年11月04日 袖師

学券

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昭和30年代を映画で再現するのは至難の業なのだという。見る側の記憶が鮮明だから、セットや小道具にごまかしが効かないのかもしれない。

その時代、袖師小学校の正門前には、2軒の文房具屋が並んでいた。生徒が今の倍以上、1500人いた時代である。

正門から見て、左が「学生堂」、隣が「文誠堂」だった。両方の店の間におでんを売る「沢野」があった。と思う。その後、裏門前に「田中文具」が登場した。

文誠堂の右隣にも「沢野」という店があるが、その当時は秤などを扱い、文具は後になってからだった。

学校前の文具店は、それぞれがサービス券を発行していた。

印刷されたものではなく、チューインガムより少し多きいボール紙に、店のゴム印を押したものだった。枚数は忘れたが、集めると値引きしてもらえた。繰り返し使われたサービス券は、四隅がめくれたものが多かったが、宝物のように扱った。

券は店の名前から「学券、文券、田中券」と呼ばれていた。子どもたちにも贔屓の店があって、せっせと集めた。

当時の店で今も続いているのは正門の「学生堂」と「沢野」、裏門の「田中」だけになった。店は少なくなったが、子どもたちが集まる姿は、昔と変わっていない。

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コメント

袖中裏門のすぐ前にあった文具店は、残念ながらありません。文誠堂と、どちらが先だったのか記憶にないのですが、ずいぶん前だったと思います。袖中では、部活(その頃はクラブ活動と言ってました)や委員会で、暗くなってから校門を出る毎日だったのですが、三年生の夏になって、まだ陽が高い時間に帰宅するのは不思議な気分だったのを覚えてます。そんな時、店に寄って、おばさんと雑談したもんです。土曜日には昼ドラを店のテレビで見せてもらってました。

久々に学生堂を聞きました。我々の時代は、「ガク」とか「ガクリンボー」などと言ってました。学生堂の替え歌も流行ってました。当時冬には、たい焼きの形をした煎餅みたいなものをストーブで焼き、チョコを塗り食べるようなお菓子を売ってました。袖師中学の前のムラタさんなんかは、まだありますかね?

ラグ派さん、どうも。記憶の糸と現実の姿が混乱しているようでした。昼に学生堂で聞いてきました。
店の並びは、ご指摘の通りで、学生堂、文誠堂、沢野です。学生堂の横にあった、おでん屋さんは沢野、(ここの娘と私は同級です)文誠堂も名字は沢野です。
正門から見て一番右の沢野は、私が小学生の頃は計量秤などを扱っていたそうです。その後、子ども向けの商品は扱うようになって、今も文具店として営業しています。ですから、袖小正門前の文具店は二軒、裏門の田中と合わせて三軒が営業しています。
学生堂さんは、ふれっぴー袖師店が無くなって、学校前を歩く人がすごく減ったと嘆いていました。ひとつの店が出来たり消えたりすることで、人の流れが変わってしまうのですね。
それから、学生堂さんの左隣にある自転車屋さんの入口が、閉まってました。休みなのかどうか判りませんが、少し気になります。

いつも楽しみに見ております。
文房具やさんの並びですが、正門からみて学生堂、文誠堂、沢野さんかとおもいます。
っで沢野さんもまだ営業中ではないかと・・先日、前を通ったらやっていそうな感じでしたが(定かではありませんが)
それで学生堂さんのとなりに焼きそばやおでんを売っているお店があったんですよね
まあ30年前の記憶ですが、両サイドのお店には同級生がいましてお二人とも元気かな~2,3年前にあったけど・・。

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