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2006年03月25日 駒越

農業用水

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清水の市立病院前の道路を南に向かって走ると、国道150線に突き当たる。左折すれば駒越の交差点に向かい、右折すれば石垣イチゴで名高い久能だ。

今週末は、久能街道は狩りで大渋滞となりそうだ。静鉄の定期観光バスが、イチゴ狩り渋滞で身動きが取れず、お客がバスから降りてしまったという話を聞いたことがある。降りたお客は徒歩になるのだが、じ土地勘のない観光客が、それから先どうしたのか謎につつまれた話でもある。


久能に向かい、坂道を右折で登る。150号線との合流点の信号横に派手なペイントの円形タンクがある。よく見ると「JAしみず」の文字もある。農業用の貯水タンクである。


三保の農業用水道

三保の名物だったンクリート製の貯水塔は、老朽化で壊されてしまった。そのことで、農業を辞めた家もあると聞いた。恐らく、ぎりぎりの所で頑張っていたのだと思う。自前の井戸がなければ水道水を畑に使うしかない。農業には膨大な水が必要だ。大袈裟でなく、水道代の支払いだけで、赤字も覚悟しなければならない。


三保にある義父の畑には、自前の井戸がある。深さ5メートルから電動ポンプでくみ上げている。海岸の松林まで数十メートルの距離で、雨の少ない年には、塩分が混じることもあるが野菜の生育を妨げることはないという。


辻小学校の水道西久保では昭和30年代の半ば頃まで飲み水は井戸だった。手押しポンプは子どもの仕事だった。

蛇口をひねる水道水は小学校で初めて体験したのだと思う。大人達を真似して、「鉄管ビール」などと呼んでいた。

水道水につきもののカルキ臭を感じたかどうか、記憶にない。もしかしたら、味より、蛇口をひねると勢いよく出てくる水の便利さが圧勝していたのかもしれない。

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コメント

水道について少し調べてみたら、袖師に水道が引かれた遙か前、清水市は大正時代から興津川の水を上水道として利用していました。

袖師は清水市との合併後すぐに、引けたのですが、興津はもっと後でした。

水源や浄化施設に近い興津が後で、それより遠い袖師が先というのには、理由があったようです。もう少し調べてから、この続きを書きます。

僕の家の水道は今でも湧き水です。
家の少し奥の沢の水を貯水タンクに貯め、8軒の家で使っています。
大雨の時は水が濁りますがとんじゃかないです。
ちなみに、我が部落にも消火栓があります。
ずっと奥の川の水を貯水タンクに貯めて、そこから我が部落(30軒)の消火活動に使います。

「三保の消防時遅れ」と私の父がよく言いました。
間に合わないとかしょろしょろしているとかの意味でからかい半分に私達子供に使いました。
でも、三保の給水塔の話を考えれば、昔は砂地で、消火活動は苦労したんだろうと今になって思い至ったしだいです。

水道工事をしている親類に聞いてみたところ、我家(袖師町)に水道が引けたのは、昭和36年頃だとのことでした。しばらくの間我家には右の蛇口は水道、左の蛇口は電動ポンプで汲んだ井戸水が出ていました。四歳か五歳の私が未知なものに不安を感じ井戸水ばかり飲んでいたら、「せっかく水道が引けたのに・・・。」と従兄に言われたのを覚えています。それからしばらくはポンプが壊れるまで併用していました。
今の家に建て替える時、使われていない井戸を埋め、地鎮祭の時に神主さんが井戸の神様に出て行ってもらうお払いをしたのですが、井戸の神様は、井戸が使われなくなってからも20数年守っていてくれたのでした。

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