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「住民不在の合併は失敗」
旧与野市合併担当部長・田中義政さん
元与野市の政策企画部長として、大宮、浦和の合併を担当した田中義政さんが、04年12月8日、堺市で市民グループ主催の講演会で配布した資料を紹介します。
03年7月24日の西日本新聞に掲載された記事で、田中さんは「職員が豊富に持っている地方特有の情報も含めてメリット、デメリット、さまざまな情報を公開すべきだ」と「反省を込めて」語っています。
記事のなかでゴチック体の部分は、太字にしてあります。(2004年2月12日)
住民不在の合併は失敗
さいたま市誕生を小説化・埼玉県旧与野市担当部長
田中 義政さん
平成の自治体合併が佳境を迎えているが、これは規模の小さな市町村にとって大きな試練だ。行政マンとして、合併協議に携わった経験からいって、対等合併などあり得ない。必ず大が小を飲み込む。飲み込まれる自治体は、住民がよほど高い意識を持たない限り、行政サービスは低下するのに、住民負担だけが拡大していく可能性が高い。国は目の前にあめ玉をぶら下げて、自治体の尻をたたいているが、このあめ玉、実は「毒」かもしれない。
埼玉県旧与野市の政策企画部長として七年間、旧浦和市、旧大宮市との合併協議を主導した。二〇〇一年五月に「さいたま市」が誕生し、今年四月には全国十三番自の政令指定都市になったが「合併は旧与野市民にとって失敗だった」と書い切る。さいたま市
の現職幹部職員ながら、”ざんげ“の気持ちから昨年、協議の内幕を「小説TheSAlTAMA市誕生」(公人社)で暴露した。
ごみ減量、情報公開は遅れた方に、手数料は高い方に合わされた。国民健康保険料も、多い人は年十万円近くも上がった。旧与野市で合併を最も熱心に推進していたのは、合併バブルでの公共事業を期待した業者だったが、大きな事業は旧浦和市の業者にさらわれた。旧浦和は人口四十八万人、旧大宮も四十五万人の大都市。八万人余しかいない旧与野は数の力に負けた。
行政マンとして、疑問を感じながらも、走らざるを得なかった。どうすればよかったのか、自分の中でもいまだに整理がついていない。合併が実現した最大の理由は住民の「しらけ」だった。徹底して行政・議会主導で作業が進んだ。説明会を開いても住民の参加者は数人、役所側の説明者の方が多いこともあった。住民の自治意識はほとんど見えず「政令市になった方がかっこいい」といった漠然としたイメージに引っ張られた。
.確かに住民投票の直接請求もあった。.しかし、特定のイデオロギーに引っ張られたり、他市から入り込んでくる「住民運動のプロ」に主導されていた。結局、草の根の広がりを持たず、行政側のしたたかな議会工作でつぷされた。
合併特例法は、地方交付税の配分額が減少しないように、合併後十年間は旧自治体の合算額を保障する。新たなまちづくりに必要な建設費に、元利償還費の70%を国が肩代わりする合併特例慣が充てられる。だが、地方分権推進委員会が最終答申で示した国から地方への税源移譲は依然不透明で、どの税目をいつ、どれだけ移譲するか、何も決まっていない。
中央官庁の体質を考えると、税源移譲がすんなり進むとは考えにくい。そもそも、.合併特例債といっても借金。財政が厳しい中、国の肩代わりの約東が「空手形」になる.危険も見え隠れする。現在三千百を超す自治体を千にするというが、その数の具体的根拠も国民に示されていない。
結局、国の財政事情を救うための合併。「自治の拡大」とはお題目で、終わってみれば国に都合のいい出先機関ができるだけではないのか。
反省を込めて言うが、合併問題が浮上したら、まず、職員が自治体行政のプロとして、こうした疑問を率直に住民に語ってほしい。職員が豊富に持っている地方特有の情報も含めてメリット、デメリット、さまざまな情報を公開するべきだ。
合併が正しい選択の場合もあるだろうが、「合併ありき」では必ず失敗する。合併特例法の〇五年三月の期限切れも視野に入ってきた。だが、「バスに乗り遅れるな」式の議論は危険が多すぎる。
(西日本新聞03年7月24日 東京報道部・竹井晋治)
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