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2006年01月14日 白黒写真の時代

にしくぼ電停

にしくぼ電停の写真

昭和35年頃の写真だと思う。

「にしくぼ」と書かれた看板の下に、柴田産婦人科の文字が見えるが、その下に「港まつり」の広告が貼られている。停車しているトラックは、オート三輪かもしれない。


昭和49年(1974)の七夕豪雨で、庵原川の鉄橋が流され、横砂から港橋までを運行していた路面電車は廃線となった。そして、にしくぼ電停はバスの停留所となった。

電車が走っていた当時はバイパスなどが造られる前だった。にも係わらず、白黒写真には信号が写っていない。歩道らしきものもない。

鉄道輸送が盛んで、マイカーなどというものが登場する前の時代である。信号がなくても、道路を横断するのに、さしたる危険を感じなかったのかもしれない。

この電停を利用する人は多かったと思うのだが、側溝には蓋がない。足場板のような物が置いてある。所々にある蓋は、家や工場の入口である。


この写真から、半世紀近く経ち、信号も歩道も出来た。バイパスができて大型車の走行は減った。

まちの景色は変わったが、西久保界隈には不思議なことに蓋のない側溝は、まだ残っている。変わらないというより、取り残されているというべきかもしれない。

現在の西久保車庫前

●「にしくぼ電停」をALPSLABの地図で見る 35/1/39.558,138/29/32.124

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「にしくぼ電停」へ届いたコメント

磯波様、車両番号のご返答ありがとうございました。
車両番号66号車の写真はインターネットで「静鉄電車館目次」と検索するとカラーで見ることができます。
また65号車の実物はいまでも港湾道路(国道150号)の宮加三の鈴与資材置き場に展示されていますよね。他の車両も日本のどこかで中古で走っていれば好いのになぁと思いました。

電車には「66」という数字が書かれています。これが車両ナンバーでしょうか。

電車の左側を走っているトラックには西濃の文字が読みとれます。この時代は帆布の幌です。

電車の向側に見える黒い建物は、あんこの工場だと思います。今でも操業しているらしいです。でも、以前は横を歩いただけで、あんこの香りがしたのですが、この頃はあまり匂いません。

あんこ工場の先に「大田●●工業所」という字が見えます。現在は久保田石油がある場所です。

その屋根の右上に看板らしきものが宙に浮いています。拡大してみたら、「追越禁止」の看板でした。

そうそう、折り返し電車はここで待っていたんでしたっけ。電車の向こうに見える黒い建物が「あんこ屋」の工場なのでしょうか?
チンチン電車の走っていた頃と今を並べた写真集がJTBから出ていて、神戸編とか愛読しておるのですが、「市電が走った街 清水編」がぜひ見たいなあ。

とても懐かしい貴重なお写真ですね。写真の電車の塗装は忘れてしまいましたが、この車両も塗り替えられて、おそらく廃線直前まで働いていたのではないでしょうか。白地の行き先板は横砂まで、ピンクのはここ西久保で折り返しでした。低学年の頃、漢字が読めなくても駅前から白い看板の電車で嶺まで乗りました。
磯波さんへ
写真の車両のナンバーがわかりますか?読めましたら教えてください。

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