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2006年03月02日 白黒写真の時代

35年前の一葉橋

35年前の一葉橋

友人から、35年前の写真を拝借した。

昭和46年(1971)の清水である。一目見て、庵原川の一葉橋だと思った。橋のすぐ向こう側に鉄道があり、その奥に山が迫っている場所は、庵原川河口近くの、ここしかない。

35年後の姿を撮影しようと、庵原川へ出向いた。

写真の土手は庵原川の東側、(興津側)になるので、撮影場所は西側、合同酒精の工場側と見当をつけて現場に向かった。いろいろな角度から撮影したが、山の迫り具合が違う。古い写真にある高圧鉄塔もない。

現在の一葉橋

この場所と思いつつ断定できないでいることを、35年前の撮影者に伝えると「200ミリの望遠にテレコンバーターを付けていた」との返事が届いた。

土手ではなく、100メートルほど下流にある臨港道路の新袖師橋から望遠で一葉橋を見ると、尾羽や横砂の山が迫って見える。橋からは鉄道も見下ろすような角度になる。

新袖師橋から見ると、庵原川の西側の土手は、東側より低い。ジャンボエンチョーから道路が上り坂になっているのは、このためだ。だから、西側の土手から望遠を使っても、低い位置から見上げる形になって山が迫って見えなかった。

今は見えない鉄塔も、10年前の地図には明記されていた。ここが撮影場所に間違いない。

しかし、新袖師橋は昭和56年(1981)に作られている。35年前に、この橋は無かったことになる。

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袖師町誌によれば、江尻魚市場から波多打川までの臨港道路が完成したのは、昭和38年(1963)である。友人が撮影する8年前に、臨港道路の橋は完成していた。

白黒写真と、カラー写真を比べてみると撮影位置の高さが少し違っている。橋の架け替えで高くなったのかもしれない。

昭和32年(1957)に完成した一葉橋は、庵原川西側に工場がある合同酒精株式会社が、川の東側にある社宅とを結ぶ木橋を架設しようと計画したものを、袖師町が木橋の費用70万円を町に寄付してもらい、それに加算してコンクリート橋を建設した経緯がある。

橋が完成してから半世紀になるが、現在も大型トラックが行き交っている。橋の東側の土手は行き止まりになっているためか、デコボコの砂利道にはいくつもの水溜まりがあった。

松と橋と、水溜まり。この景色は35年前と同じだろう。水溜まりには時間を閉じこめる不思議な力がある。

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「35年前の一葉橋」へ届いたコメント

現在行われている工事は清水インターの東側にジャンクションが出来ると思いますが第二東名との連絡路ではないでしょうか?
市内の少し高いところならどこからでも見える大工事ですね。
もう長い間赤茶色だった山肌が最近草が生えて来たためか色が変わってきたような気がしますがどうでしょうか。
工事が完成した折りには緑を植え、目立たなくして欲しいと思います。

35年経って変わらないものと変わってしまったものが
画面の中でギシギシ言っていてすごいですね。
こうやって今と昔を見比べるのはとても良いことだと思いますね。
「何が良いか」は個人的なことですが。
東名高速からも新幹線からもよく見える
後の山の造成地点には何ができるのでしょう。
何気なく写真をお送りしましたが、
後ろに写っている山がまさにその痛々しい造成現場であること、
今進行中の劇的変貌現場であることにびっくりしています。

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