庵原小のプラタナス

プラタナスの木には、スズカケノキ(鈴懸の木),アメリカスズカケノキ(亜米利加鈴懸の木),モミジバスズカケノキ(紅葉葉鈴懸の木)の三種類がある。庵原小の巨木はモミジバスズカケノキで、街路樹などでお馴染みの種類である。
清水で育ち、県外で暮らす方から「庵原小のプラタナスが病気になったと聞いて気になっています」というメールを頂いた。
庵原小に来てみると、耐震工事のためにグランドの三分の一ぐらいの面積にプレハブの校舎が造られていた。校舎を背にグランドを見つめていたはずのプラタナスは、巨大なプレハブの後ろに隠れてしまっているようだった。

庵原小学校が開校したのは133年前の1873年(明治6)。プラタナスの木が移植されたのは1909年(明治42)、今から97年前になる。
がっしりした鉄の櫓で支えられているプラタナスを見上げてみる。樹皮の様子や葉の茂り具合からみて病気のようには見えない。
このプラタナスは、1909年(明治42)興津の果樹研究所から移植されたものだという。樹齢は100年を越えるだろう。今では街路樹としてお馴染みのプラタナスも、明治になって海外から持ち込まれている。庵原小に登場した頃には、まだ珍しい樹木だったと思う。
プラタナスは鈴懸の木とも呼ばれる。木の実が鈴を掛けたように見えることから付けられた名前らしい。
庵原小では、この実を卒業式で胸につける伝統があると、メールで教えて頂いた。学校のシンボルとしてプラタナスが親しまれている。

仮校舎の案内図にクラスの表示があった。1年から6年まですべて3クラス。現行法では40人学級という決まりがある。ある学年が81人だった場合は、各27人の3クラス。80人なら40人の2クラスとなる。クラスの増減は運動会での色分けや教職員の数など、学校全体に影響が出るという。
「広報しみず」の最終ページに懐かしい町の様子を伝える人気コーナーがあった。広報が届くと、そこだけは読むという人が少なくなかった。
1977年(昭和52)から1984年(昭和59)まで掲載されたものは「まちの思い出」として清水市が本にした。そのなかに「庵原小のプラタナス」が収録されている。「まちの思い出」は旧清水市立図書館で読める。
プラタナスの思い出を語ったのは庵原町の佐藤精作さんである。掲載された時に80歳であるから、明治30年代の生まれだと思う。全文を紹介させて頂く。

「広報しみず」昭和59年4月15号に掲載された庵原小のプラタナス。たくさんの実が、枝に鈴を掛けたように見える。撮影年は不明だが、枝を支える鉄の櫓は見えない。左奥に体育館が写っている。
庵原小のプラタナス
庵原町 佐藤精作(八十歳)
庵原小学校の卒業生が同窓会を開くと、決まって校庭のプラタナスの話が出てくるって聞くけえが、おれも、昭和二年から十年間、庵原小学校で先生をやっていたんて、あのブラタナスには懐かしい思い出かいっぱいあるぞ。
あのころの子供は、並の“いたずら小僧”じゃなくてな、今、六十歳前後の男衆は、たいがいおれに叱られて、あのプラタナスの下に立たされたもんだ。当時は、プラタナスの木を境に、運動場が男と女の子用に分かれていてな、悪童連中は、毎日のように女の子の方を向いて立たされ、懲らしめられたっけだ。
本に登って遊んでいるところを先生に見付けられ、日が暮れるまで降ろしてもらえず、枝につかまったまんま、泣き泣き小便をちびった“悪童”もいたしな。
「登るな」って言われりやあ、登りたくなっちやうだな、子供っていうのは。
あの、慈母のように大きなプラタナスに見守られて巣立つていった衆も、新学期の今ごろ、目を閉じて思い出してみるとええよ。懐かしくてたまんなくなること請け合いだ。
運動場でじぐるっている新一年生も、あの木のお世話になるだな。
(昭59・4・15号)
●清水市総務部広聴広報課発行「まちの思い出」に収録された「庵原小のプラタナス」
●「庵原小学校」をALPSLABで見る
「きょうの清水」へ届いたコメント
みみっち様、庭のすずかけ様、早織様、庵原のこども様、時雨様へ
突然のコメントで失礼します。
某放送局でカメラマンをしている石間というものです。
現在、「庵原小のプラタナス」について取材を進めています。
多くの方にプラタナスの「記憶」や「思い出」をお聞きしたいと考えています。
お手数ですが、
下記のアドレスにご連絡いただければ幸いです。
ishima@majenta.jp
カメラマン | 2008年09月10日
やっと校舎も出来上がり、プレハブがなくなりました!
そのことから、この前よりプラタナスが元気になったように思います。6-1の教室から見えるプラタナスは、緑の青々としげった葉っぱをうれしそうに振っていました。今年はプラタナスも100歳。私達が卒業と一緒にお祝いします。これから前の庵原の面影がどんどん少なくなっていきますが、プラタナスだけは変わらないでほしいなと思っています。H、20、5,2
みみっち | 2008年05月02日
卒業式で胸につけたすずかけの実。もう23年前のことになってしまうのですね。しばらく小瓶に入れて大切にとっておいたのですが、相次ぐ引っ越しによってとうとう見つからなくなってしまいました。確か、銀色で塗装され赤いリボンで飾られていたかな。
私は小学校時代にプラタナスの下で抱いた夢を幸いにも実現させ、今は庵原を離れてはるか遠くの北の大地で生活しております。今の仕事は好きで就いた仕事ではありますが、時には苦しくて辛いこともたくさんあります。しかしそんな時は、きらきら光る木漏れ日を見上げ、いっぱい元気と勇気を与えてもらったすずかけの木のことを思い出すようにしています。「庭のすずかけ見上げては」って口ずさみながら・・・。
庭のすずかけ見上げては 僕の希望も私の夢も
やがて大きく世界にのびよ
雨にも負けず 風にもめげぬ
みんなみんな強い 庵原の子ども
庭のすずかけ | 2007年10月15日
今、通っているのがこの庵原小学校です。
今も本当にプラタナスがあるけど、こんなに昔からあるとは、初めて知りました。今でも、卒業式に使っていますよね!
新しい校舎から、すごく目立ちますぅ~。
早織 | 2007年03月15日
懐かしい写真ですね。
おそらく撮影は、掲載当時のものではないでしょうか?
体育館とプラタナスの間に写っている肋木は、確か昭和50年代後半に据え付けられたと記憶してますので(私の在校時)。
これから先、どれだけ街や里山の風景が変わろうとも、プラタナスだけはいつまでもあの姿のままであって欲しいと願っています。
庵原のこどもぉ♪ | 2006年09月12日
初めまして
今回コメントさせていただいたのは我が母校である庵原小学校が出ていたからです。今は東京に居ますが地元関係はよくネットで見ています。校舎もだいぶ前に建て替えると聞いていました。今年のGWに帰った時にはすでに学び舎のほとんどは無くなっていて1年の教室を残すのみとなっていました(小1当時そこの教室だった)
話しを戻してプラタナスの実は確かに卒業式に参加する時につけます。もう15年も前の事なのですでにその実は無くなってしまっていると思いますが・・・・(- _ -;)樹齢は自分が小学校当時からかなりのもんだと言われていましたがそこまで長いんですね。これから先俺が地元に戻って歳くっても威風堂々とあの場所にあってくれる事だと思います。
ノスタルジックな気分になってしまい長々となりましたがこれで失礼しますm(_ _)m
時雨 | 2006年09月10日