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2007年03月30日 入江

時計の修理

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修理前の時計。ガラスの傷や汚れが目立つ。よく見ると長針の先にもゴミが付着している。修理後は、新品のような輝きを取り戻した。ピカピカの時計を撮影したかったが、義父の所へ少しでも早く届けるため、撮影していない。

三保に暮らす義父が大切にしている腕時計が止まっていた。

電池の交換をしてから一年以上が経っているのような気がしたので、電池交換をするために時計を預かった。前回は、本人が顔なじみの時計店に持参して電池を交換しているが、四点杖でゆっくり歩くのが精一杯となった今では、過去の話になった。

時間を気にしなければならない暮らしをしているのではないが、義父は風呂に入るときを除いて、腕時計を外さない。

時計が止まったことの空白が産み出すいろいろな影響が心配で、入江商店街のフカザワ時計店へ出向いた。時計店の隣は清水銀行で、電池交換、時計修理の看板が目立つ。

時計店の主人が裏蓋を外し、電池をテスターで計る。「1.6ボルトありますから、交換したのは最近ですね」という。義父が自分で電池交換をしたのが、ずいぶん前のように思っていたが、記憶違いだったのかもしれない。

「電子回路に異常は見られないから、分解掃除をすれば大丈夫でしょう」

止まった原因が電池でなかったと告げられた時、修理不能かもしれないという不安が過ぎったが、「大丈夫」という言葉で救われたような気がした。


翌日の午後、時計店を訪れた。

分解掃除を終え、まるで新品のように輝いている時計がそこにあった。嬉しかった。義父の喜ぶ顔が浮かんだ。

時計店の主人によれば、年配の方にとって時計は、自分の命を刻んでいると同じ感覚だという。時計が動いていることを見ることは、見ている自分が生きている証となる。時計が道具ではなく、自分の存在と一体化している。

定年まで勤め上げた会社の30年勤続表彰で頂いた記念品の時計は、義父にとって人生の歩みそのものかもしれない。

漠然と感じていたことを、うまく表現したもらったような気持ちがした。この店で修理を頼んでよかったと思った。ピカピカになった時計を「新品みたいだろ」と、みんなに自慢したかった。


入江商店街から三保へ向かった。

義父に時計が直ったことを伝えると、目を少しだけ見開いて「そうか」と言い、虫眼鏡を取り出した。すぐ手にはめると思っていたので、その行動は意外だった。

裏蓋に刻まれている社名と30年勤続表彰の文字を確認している。虫眼鏡でなぞるように刻印を眺めてから、小さくうなずいて左手首にはめた。

満足そうな顔をしている義父を見ながら、再び動き始めた時計に感謝した。

入江商店街のフカザワ時計店

●「入江のフカザワ時計店」をALPSLABで見る35/0/52.986,138/29/1.340

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