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2007年11月25日 次郎長

淡島神社と芝栄(1)

淡島神社

美濃輪稲荷大鳥居前で魚屋を営む友人が「芝栄」のことを調べている。

芝栄は江戸末期から戦前にかけ活躍した魚問屋で、現在の清水魚市場株式会社の前身となる。初代の芝野栄七は次郎長とは親しい仲で山岡鉄舟を崇敬し、鉄舟寺の再興に貢献したという。「芝栄」の軌跡を辿ると、江戸から明治、そして昭和に続く清水の歴史が見えてくる。

淡島神社

淡島神社は、和歌山県加太にある淡島神社が総本社で、静岡県内には清水と沼津にある。総本社のいわれには、神功皇后が三韓出兵から帰る時に荒らしにあった時に船の行き先を教えるお告げがあって助かったことから神社を祭ったとある。航海の守り神だ。

静鉄入江岡駅から線路を挟んで淡島神社が見える。鳥居をくぐると柱の裏に「芝野榮七建立」と彫られている。もう片方には昭和九年六月吉日とある。二代目の芝栄が寄進した鳥居だ。

芝栄は魚商人であり、漁師を束ねる網元ではない。石鳥居の寄進に至る動機としては弱いのではないかと思った。

芝栄と淡島神社をつなげるヒントは、浜田今昔誌のなかに書かれていた。

淡島神社

浜田地区まちづくり推進委員会が昭和62年に編纂した浜田今昔誌は、中世から近代、そして現代に至る浜田地区の歴史が判りやすく書かれている。

淡島神社の解説には「累代の御船手奉行の崇敬が厚かった」とある。

江戸時代巴川河口近くに幕府御船蔵があった。慶長12年(1607)9月に駿府に隠居した徳川家康は、駿府城と清水湊を中心にした交易を警護するために、水軍基地を設けた。
軍船は、櫓46挺(ちょう)を持つ吉岡丸、櫓30挺の鷲丸、櫓16挺の御橋船の三隻が配備された。

徳川400年祭では、平成10年に焼津で復元された八丁櫓が駿府城の堀に浮かべられた。これは、家康が護衛のため、当時一般には許可されていなかった8本櫓の船を焼津の人々に特別に許可したという由来がある。民間の8本に対して、幕府水軍は46本、30本、16本の櫓を持っていた。軍艦と呼ぶべきかもしれない。

幕府の軍事基地を指揮するのが御船手奉行である。御船手奉行が航海の安全を祈願するため淡島神社を崇敬したのは当然だ。

芝栄の時代、幕府御船蔵は廃止されていた。国内での軍事的緊張感が消えたからだ。しかし、淡島神社へ寄進をすることで、海から恩恵を受けている者として、為政者への忠誠を示したかったのかもしれない。

静鉄入江岡駅

4代目御船手奉行の山下弥蔵の妻は歌舞伎や浄瑠璃で名高い「朝顔日記」のヒロイン美雪と言われている。入江南町の法岸寺に彼女の墓がある。入江商店街で朝顔祭りが開かれていたのは、そんな縁からである。

淡島神社の鳥居に刻まれた名前を調べてゆくと、戦国時代、そして江戸時代、明治時代とふるさとの歴史がつながってくる。郷土史の楽しみは、書物で書かれた現場に足を運ぶことができることだ。

淡島神社の歴史を調べてみようと思ったきっかけは、友人の「芝栄」についてのレポートだった。人と人、歴史上の出来事、どちらもつながることで深みを増してゆくのかもしれない。

静鉄入江岡駅

●「淡島神社」をALPSLABで見る
【関連】淡島神社と芝栄(2)≫

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「淡島神社と芝栄(1)」へ届いたコメント

小林さん、ようこそ。管理人の磯波です。

西日のなかで輝く静鉄とJRの線路に、しばらくみとれてしまいました。今の清水、昔の清水を、マイペースで伝えてみたいと思っていますので、時々覗いてください。

懐かしい景色のリクエストがありましたら、どうぞ!

私は清水出身ですのでとても懐かしく拝見させていただきましたとても良い写真ありがとうございました

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