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2007年12月04日 次郎長

次郎長と投網

真崎海岸での投網

次郎長の年譜になかに「明治12年(1879)アメリカ前大統領グラント将軍を投網(とあみ)のパフォーマンスで接待」という記事が出てくる。大統領が将軍と呼ばれることが気になって、少し調べてみた。

▼アメリカ南北戦争で勝利した北軍の総指揮官グラント将軍は、その後アメリカ合衆国大統領となった。南北戦争の英雄は大統領になっても「将軍」と呼ばれた。
▼大統領を2期勤め勇退後、婦人と二年あまりの世界旅行を楽しみ、明治12年(1879)には国賓として来日している。
▼ドナルド・キーンの「明治天皇」によれば、軍艦リッチモンドで長崎に着いたグラント将軍は、京都に行く予定だったが、関西地方でコレラが発生していたため京都訪問を取りやめた。東京に向ったグラント将軍は明治天皇と歓談している。
▼上野公園はじめ各地にグラント将軍来訪記念碑が造られている。

グラント将軍は日本各地を訪れ、清水にも寄港している。次郎長が漁師を集め投網のパフォーマンスで歓迎したのは将軍が軍艦リッチモンドで清水港に入港した時のことである。

どのくらいの規模で投網が行われたのか判らないが、異国のヒーローを迎え、派手に行ったことは想像できる。


真崎の海岸で、投網を打つ漁師の姿を初めて見た。富士山を背に、青い海に白い投網が広がる。水を打った網が、パシャという音と同時に海中に消える。漁師が逞しい腕で静かに網をたぐり寄せる。

こんな光景をアメリカの元大統領は見たのかもしれない。そんな郷土の歴史を知ると、目の前で行われている投網が違って見えてきた。ほんの少しだけ歴史を知ることで、郷土が鮮明に見えてくる。

真崎海岸から見る富士

【写真上】真崎海水浴場でがっちりした体格の漁師らしき三人が投網を行っていた。網を揃え水に入る。太ももぐらいの深さで止り、身体を捻らせリズムを取って網を投げる。ゆっくりと網を引き上げながら陸に戻る。時々談笑しつつ場所を移動しながら何度も網を投げていた。真っ白な網が広がり海に吸い込まれる様子は美しかった。
【写真下】真崎海水浴場から見る富士山。この写真の翌日、清水に降った雨は富士では雪になっていた。

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「次郎長と投網」へ届いたコメント

お邪魔します。
グラント将軍(大統領)が来日した、その記念碑が上野公園にあります。
将軍のレリーフもあります。
ただ、それだけなんですが、真崎から見た駿河湾がとても懐かしくて、美しくて、つい。

「投網パフォーマンス」の規模がどれくらいだったかは定かではありませんが、漁師達には「咸臨丸事件」の時に次郎長から受けた大きな恩があったから、次郎長の動員呼びかけに相当数の漁師が応えたと想像できます。

徳川慶喜さんは時折おしのびで清水に来ては釣りや投網、舟遊びを楽しんだそうです。
その手ほどきをしたのは巴川河口の船元「原木家」で現在同町内にある黒鯛釣り舟屋「原金」の屋号はその商いを継いだものだそうです。
慶喜の清水湊遊興の警護は、慶喜が江戸から駿府に移住の際、新門辰五郎から引き継いだ次郎長があたりました。

徳川慶喜が、投網が得意だったと聞いたことがあります。清水でやってたのかなあ・・・

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