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2008年01月27日 わがまち

子どもたちのステージ

第56回清水新年子ども大会

1月27日、清水新年子ども大会が清水市民文化会館大ホールで開かれた。清水区内の地区子ども会の代表が演劇やコーラス、郷土芸能やダンスを披露した。子ども会が主催するステージでの発表会が56年も続いているのは全国的にも珍しいという。

各地区の演目の幕間にはリーダーと呼ばれる中学生、高校生が客席の子どもたちをゲームで楽しませる。彼らの所属する清水リーダース倶楽部には中高生だけでなく、大学生や社会人もいる。子ども会のリーダー組織は全国各地にあり、それぞれが活発な活動を続けている。

小学生にとって中学生、高校生は先輩というより、大人に近い存在だ。ステージの上で着ぐるみを着てゲームを指導する身近な「大人」に客席の小学生が目を輝かせている。

第56回清水新年子ども大会

ある地区の子ども会は10年前から劇の指導を、その地区の中学生、高校生が担当している。オリジナルのシナリオから演技の指導まで父母の手を借りず、自分たちで作り上げている。いろいろな経験の積み重ねが、先輩から後輩へと受け継がれてきた。

もちろん、父母たちが何もしないという訳ではない。練習会場の確保や、夜の練習なら会場までの送迎も必要になる。大道具の支度など裏方として、たくさんの役割があるはずだ。裏方の苦労があるから、ステージのスポットライトが輝いて見える。

子どもたちが作り上げたステージの世界は、親たちの大きな手のひらの中に収まってしまうのかもしれない。親や地域の大人たちに、守られながら子どもたちは成長していく。

今は、そのことに気づいていないかもしれないが、子どもたちが大人になった時、裏方としてステージを支えてくれた親たちの大きさと暖かさを思い出すに違いない。

第56回清水新年子ども大会

子どもを取り巻く環境の変化が語られるようになったのはいつの頃からだろうか。変化のなかで、学校も変わり、地域の雰囲気も変わった。ゲーム機の登場で遊びの形も変わった。親たちの感じ方も変わったように感じることもある。

清水新年子ども大会も56年目を迎えた。私も小学6年の時、クラスの仲間たちと「とんち彦一」の劇でステージに立ったことがある。12回大会だった。会場は市役所近くの公会堂だ。45回大会では、娘がステージに立った。私だけでなく、親子2代での出演は少なくないと思う。


長い年月のなかで磨かれ、輝きを増す部分と、その逆に色褪せて見える部分がある。

色褪せたものを、どうやって輝かせるのか。磨き方の方法なのか、それとも部品を換えざる得ないのか、判断を誤ると土台が崩れてしまうような危うさを感じる。それは、56年という歳月の重さだろう。

時代のなかで変化は避けられない。だが、時間を忘れて遊んでいる子どもたちを見ていると、子どもたちの世界は、昔も今も変わっていないように思えてならない。変わったのは大人たちなのかもしれない。

古い船には新しい水夫が乗り込んで行くだろう
古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう
(吉田拓郎・イメージの詩)

吉田拓郎の唄を初めて聞いたのは高校生の時だった。新しい時代の夜明けが近い、そんな心の高ぶりを感じていた。時代が変わり、自分が「古い水夫」の一員になっているのを感じることがある。

古いということは、怠惰や無気力とは違う。長い経験のなかで、先に起こることをあれこれ想定してしまう。過ちを避けようとして、マイナス面を考え、リスクを克服するための方策を探そうとする。だが、そんな方策など簡単に見つかるはずもなく、はじめの一歩が踏み出せなくなる。

踏み出せないでいる大人たちに「新しい水夫」は、歩み続けようと声を上げる。どの時代でも同じことを繰り返している。「古い水夫」に求められていることは、新しい水夫の声を信じ、裏方として暖かく見守ってやることかもしれない。その度量が問われているのだと思う。

袖師小ゆうかり新年会

1月16日、袖師小学校で開かれた「ゆうかり新年会」では、地域の人たちが昔の遊びや、ぼたもち作りで参加した。ペッタン(メンコ)を知らない子どもたちに、年配の方がやり方を教えると、子どもたちは夢中になって叩いていた。私も何十年ぶりかでペッタンをやってみた。昔も丸型はあったが、実際に遊んだのは四角で厚みのあるものだった。蝋を垂らしたり、湾曲させたりいろいろ工夫をして勝負にいどんだ。

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「子どもたちのステージ」へ届いたコメント

>演じたのは劇(ライオンキング)で、準主役を熱演しました。

この劇は見ています。ここ10年近く、だいたい裏方でステージに
いましたので演目のほとんどは見ています。ライオンキングは
印象に残っています。

その頃はMARUMAさんと面識がなかったのが残念です。
今なら、花束持って楽屋に行ったかも・・・・・

この地区では小学校3校がひとつの子供会を形成していて、新年子供大会は3校が順番に参加していました。
しかし、僕の上の子の時は順番ではなかったんですが、子供たちがどうしても参加したいと言い。
たしか2組参加したと思います。
上の子たちが演じたのは劇(ライオンキング)で、準主役を熱演しました。

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