次郎長つるし雛

人形の三度笠には「大政」と書かれていた。
港町に復元された「末廣」でつるし雛飾りが展示されている。つるし雛は、もともと東伊豆が有名だが、この頃は県内各地で展示されるようだ。手芸の心得がある人なら自分でも作れそうな素朴な人形は、段飾りとは違った味わいがある。
館内には「次郎長二十八人衆飾り」「エスパルス」「かっぽれ飾り」「清水飾り」など、清水にちなんだつるし雛が飾られている。二十八人衆の三度笠には名前が書かれ、エスパルスには背番号が貼られている。
ここを訪れる30代から40代の人は「旅姿三人男」を聞いたことがない人が多いが、逆に子どもたちは知っているという。ちびまる子ちゃんのアニメで友蔵じいさんが唄う場面があり、それで知っているのだ。
50代の私はもちろん知っているが、ディック・ミネと曲が結びつかない。テレビではなくラジオで聞いていた時代だったのかもしれない。

エスパルスつるし雛は運営会社の承諾を得たもので、ユニフォームには公式エンブレムが付けられている
カメラを構えたら20番がレンズに入ってきた。西澤明訓選手である。入江小(清水FC)、八中、清水東と歩み、セレッソ大阪でプロデビューし、昨年清水に移籍してきた。
かなわぬ夢だと思いつつ、いつか清水出身の選手で固めたチームが日本平のピッチを走る。そんな夢を、つるし雛にお願いしてみた。

「末廣」での次郎長つるし雛は3月9日まで展示されている
「末廣」は晩年の次郎長が波止場で営んだ船宿だ。明治20年代には、海軍の若者たちが、次郎長の武勇伝を聞くために足を運んだという。
2001年(平成13)4月1日にオープンした「末廣」は、スルガ銀行があった場所に復元された。(清水駅前の公的施設も前世は銀行だった。銀行に縁が深い土地柄かもしれない)
平成の「末廣」は次郎長の時代とは300メートルほど離れた場所になる。ユニクロの店舗を左に出て、港へ向って少し歩くと石碑がある。ここの場所に、晩年の次郎長がいた。
明治の「末廣」が何処にあったのか、場所を特定する証拠となったものは徳川慶喜が撮影した写真である。この話は、また改めて紹介しよう。
「きょうの清水」コメント
>山下大輔君が同級生
ということは東京オリンピックは中学1年の時でしょうか。私の1級先輩ですね。
清水東の「文武両道」は今でも健在のようです。昨年の学祭は出帆祭が一般公開となって、HRごとの演物を初めて見ることができました。
クラス全員が唄ったり踊ったりのステージは、客席でも楽しかったですが、舞台の上が一番楽しかったのでしょうね。
磯波 | 2008年02月13日
私の娘が西澤君と同級生で一緒に呼び出されて説教されたと言ってました・・。
私は袖師から付属中清水東です。高校では、運動苦手な私がインターハイと東海4県に出ていました。相手が居ないで黙々と的を射るだけの弓道です。
当時はサッカー部、野球部(山下大輔君が同級生)テニス、剣道・・文武両道なんて、無理なこと行って・・指導されておりました。
Anonymous | 2008年02月13日
なるほど。
静坐法の岡田虎二郎が、若い頃、次郎長に会って、”あんたは人を殺したことがおありなさるか”と聞かされて、得るものがあったと伝記にあり、岡田はどうやって次郎長に会ったのだろうと思ったら、海軍軍人に交じって話を聞いてたんですね。
晩年の次郎長は末廣でスピリチュアル・メンター役をしていたのか。
真丹後 | 2008年02月12日