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2008年02月23日 次郎長

次郎長堤(2)

次郎長が晩年を過ごした「船宿末廣」の場所がどこにあったのか、素人判断であれこれ推測していたら、友人たちが知恵を貸してくれた。感謝の気持ちを込めて資料を紹介させていただく。

清水波止場の全景

写真提供:電脳六義園通信所 撮影:ふるさと通信員Sさん

友人のサイトに、「船宿末廣」があった場所を上空から撮影したものが掲載されていた。朝日に輝く富士が美しい。静岡県側から見る富士山は、東側にこぶのように突き出た宝永山の位置で県内のどこから見ているのか、だいだいの場所が分かる。富士山は位置を確かめる巨大な灯台でもある。

現在の波止場に「末廣」と「次郎長堤」を重ねてみた

友人の説明や、古い絵葉書に残されている波止場の風景から、現在の波止場に「末廣」と「次郎長堤」を重ねてみた。現存してる「次郎長堤」は、マリンパークの埋立てにより、海から切り離されたことが判る。

明治後期から大正初期の地図

発行年は不明だが、明治後期から大正初期と言われている地図の一部に河川と海の部分を着色した。縮尺3000分の1、波止場の場所は「清水町大字清水受新田」と表示されている

美濃輪大鳥居前で魚屋を営む友人が古い地図を届けてくれた。

明治後期から大正初期の地図の一部である。地図は白黒だが、巴川と清水港を判りやすいように着色した。港橋から真っ直ぐに伸びた道が港町商店街(エスパルス通り)である。道路の先にある波止場は今と変わらない。現存している次郎長堤の場所は、地図の右下の部分になる。

明治22年に発行された地図

明治22年に発行された地図の波止場の部分を拡大した。「明治後期から大正初期の地図」では波止場の左(南)側に、もうひとつの波止場が見えるが、この地図では埋立てられている。

1970年(昭和34)の清水港を空から見た写真

「昭和34年頃の港頭地区」と題された写真
「目で見る清水市の歴史」(杉山満著・緑星社出版部発行・1980年(昭和55)から

1959年(昭和34)の清水港を空から見た写真がある。波止場の先に倉庫が3棟見える。現在残っているのは一番海側の1棟だけである。倉庫の裏側(北)は、現在は埋立てられてマリンパークになっているが、この時代は海である。

この写真にはヨットが写っていない。ヨット愛好家が船底塗料を塗っていたのは、もう少し後の時代のようだ。

末廣と芝栄

次郎長が晩年を過ごした「船宿末廣」がどこにあったのか、ようやく判った。明治から大正にかけて写された波止場の写真でカメラがどこの位置にあったのかも、これで判る。シャッターを切った場所を知ることで、撮影者の気持ちに少しだけ近づくことができたように思う。

いろいろな資料について知恵を授けてくれた友人たちに、改めてお礼を言いたい。ありがとう。


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「きょうの清水」へ届いたコメント

みなさん、コメントありがとうございます。
今度の土曜か、日曜にもう一度「次郎長堤」と、キングノットの遠藤さんを尋ねてみようと思っています。

>当時は工場の匂いなどがする労働者の港

もう随分前のことらしいですが、波止場の信号の角にあるタバコ屋さんの売り上げが凄かったという話を聞いたことがあります。自販機などなかった時代で、交替勤務で三保に向う労働者が一斉に買ったとか。

>4Roses

島崎町に今でもある島崎タクシーのすぐ近くに「渇き」という小さな酒場があったと思います。今は更地になって面影もありませんが、この店も昔からあったような記憶が。それから清水銀座大踏切り近くで、通りに面してませんが「酒房ベニス」という看板があります。これも昔からあったような気がしてます。

>当時の写真も在るはずなのですが、行方不明

田中さん、是非とも写真の捜索をお願いします。今度、ヨットレースで田子島を回る時は大田子の浜から小旗ふりますからね(見えないか)。

新人のタッキーです。三保出身です。
サムシング田中さん提供の地図中、太洋寒天の西側の駿遠商事(ガソリンスタンド)で昭和57年ころバイトしてました。今思えば、昼休みには末廣のあった辺りをぶらぶらしてました。おっしゃるとおりこの辺りはずいぶん変わりましたね。今は小奇麗になってしまいましたが、当時は工場の匂いなどがする労働者の港でしたね。
私も今度帰省したとき次郎長堤を(ペンキも!)確認してみます。

静岡市葵区に住んでます田中といいます。村松くんとはヨット仲間です。
昭和47年(1972年)から現ドリームプラザ前より南側にヨットを係留しています。

この周辺はすっかり変わりましたね。時々仲間同士で話をしたりしています。
20年前の、この周辺の地図をリンクしておきます。
http://photozou.jp/photo/photo_only/132301/7387767?size=1024

少々、訂正を。
村松くん「ココパームス」は「レストラン五万石」の息子が…とありますが、五万石の隣の金丸食堂の息子さんだと記憶しています。オシャレな店でした。

五万石、ヨットハーバーへ出かけて海へ出ない時は毎回、ここで昼飯を食べました。
当時の写真も在るはずなのですが、行方不明。

七夕豪雨(1974)で廃止された電車の停留所「港橋」から現エスパルス通りを抜けてハーバーへ。左側向こう側に「五万石」を見ながら信号を越し、踏切を渡る。道路を奥まで行って駐車場(ヨット上架場)に車を止め、歩いて踏切まで戻ります。
静岡観光汽船の建物の2階に清水港ヨット協会のクラブハウスを設置し、そこへ毎週のようにメンバーが集まっていました。

「次郎長堤」のペンキの汚れはヨット仲間がやりました。ごめんなさい。

僕が小学生だった50数年前末廣さんの近くに冷凍工場があって時々殿様蛙を小遣い稼ぎに売りにいった記憶があります。一匹
幾らだったか忘れましたが小遣いかせぎにはなりました。また
その冷凍工場で鰹か鮪の頭が捨てられることがありました。
それをひろって蟹網に仕掛け、岸壁から下ろして"ガサミ"これって"渡り蟹"だと思うのですがずいぶん採りました。またすぐそば
に渡船場があってその向かいに船員相手の飲み屋っていうかBAR
がありましたおそらく外国船の船員が主な客なのでしょう、そんな一軒のBARに"4Roses"なんて名前の店がありました。僕の友人
の実家がやってました。その後数十年たって"4Reses"ってバーボンのブランド名から付けた名前だったんだと思いました。大人になって思うことですな。この地域とても懐かしいです。

僕が小学生だった50数年前末廣さんの近くに冷凍工場があって時々殿様蛙を小遣い稼ぎに売りにいった記憶があります。一匹
幾らだったか忘れましたが小遣いかせぎにはなりました。また
その冷凍工場で鰹か鮪の頭が捨てられることがありました。
それをひろって蟹網に仕掛け、岸壁から下ろして"ガサミ"これって"渡り蟹"だと思うのですがずいぶん採りました。またすぐそば
に渡船場があってその向かいに船員相手の飲み屋っていうかBAR
がありましたおそらく外国船の船員が主な客なのでしょう、そんな一軒のBARに"4Roses"なんて名前の店がありました。僕の友人
の実家がやってました。その後数十年たって"4Reses"ってバーボンのブランド名から付けた名前だったんだと思いました。大人になって思うことですな。この地域とても懐かしいです。

赤茶けた倉庫の前にたって見上げてみると、小綺麗になった日の出再開発に抗議の座り込みをやっているかのようにも見えます。次郎長堤にしても、あの倉庫が居座っているから、そのまま現存しているような気がします。重機を使えば、あっという間に撤去されてしまいます。

次郎長宅跡の石碑に書かれた「ここより東に五十メートル」がきっかけで「末廣」探しが始まりました。昔、汽船のりばやおでん屋が波止場の一番奥の東に面した一角にあったものですから、末廣の位置を東向きと思いこんでいました。古い写真に写っている山並みを見れば南向きというのは直ぐ判るのですが、先入観というのは強力な磁場を持っています。

たぶん読者の皆さんには判ってもらえると思いますが、港界隈のごちゃごちゃした雰囲気が好きです。油やペンキの匂いに混じって味噌や醤油の美味しい匂いが漂ってくる、港はそんな雰囲気に満ちた場所だと思ってます。

赤茶けた倉庫の裏側には荷物だかゴミだか区別しずらいものが埋まっています。船底塗料のペタペタも、その仲間です。「やいやい」と思いつつ、不愉快にならないのです。なんですかね。寛容というより、このいいかげんさが、清水港の名物かも・・・。

なるほど『末廣』は、あの取り残された感いっぱいの古い倉庫のあたりだったのですか。次郎長堤は今度帰省した時に確認してみます。
ココパームスは、帰省した時に、お洒落な店が出来たなあと感心しただけで終わってしまいました。今は草薙の方に移ったのかなあ。あのロケーションがよかったのですが。キングノットというのも初耳ですが、清水にも大人の不良(失礼)向けのいい店があったのですね。
港のおでんやさんは、まだありましたっけ?
舛田利雄の『赤い波止場』は、主演の石原裕次郎よりも監督の故郷神戸への愛情がよく出た映画なのですが、その映画でも、桟橋前の食堂が主な舞台のひとつになっていて、ああいう港の食物屋を見ると、なぜか興奮してしまいます。多分、監督もそうだったのでしょうか。
などいい加減なことを考えていたら、そうか港のそばの食物屋にわくわくするのは、清水の人間にとっては『末廣』以来の伝統(??)。

素晴らしいレポートありがとうございます。
当会のホームページ内『会報11』
http://jirocho.com/kaihou-11.html
からリンクをはらせて頂きました。
今後とも宜しくお願いいたします。
ご活躍期待しております。

そういえば思い出しました。
ロマン館の南側にキングノットという住居兼のお店があり
遠藤さんという方がご主人です。
この方はプロのカメラマンでもあり、日本のウインドサーフィンの先がけとも言える方です。
この方のお店にこの界隈の航空写真を引き伸ばしたものがありました。年代的には昭和50年前後だと思います。

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