天田愚庵

3月8日、中央図書館で開かれた清水郷土史研究会・研究発表には100名近い聴衆が集まった。写真中央が講師の清水郷土史研究会会長山田倢司氏
3月8日の午後、清水中央図書館で清水郷土史研究会の研究発表会が開かれた。テーマは「数奇な生涯を送った天田愚庵」、講師は清水郷土史研究会会長の山田倢司氏である。
演題の通り、明治37年に51歳で病死するまでの天田愚庵の人生は数奇としか言いようがない。幕末から新政府誕生という激動の時代、彼は時代の大波に呑み込まれるのではなく、水切り石のごとく波頭を走り抜けたような気がする。
会場で頂いた資料に愚庵の年譜には、たくさんの人との出逢いが記されている。
19歳で山岡鉄舟、25歳で次郎長に出逢い、39歳の時には正岡子規と高浜虚子が愚庵を訪ねている。その間、神田駿河台のニコライ神学校に入ったり、自由民権運動に加わったり、台湾征伐の従軍など同一人物とは思えない経歴だ。写真師、新聞記者と明治初期には極めて珍しい職歴を持つ。
天田愚庵という名前は、34歳で仏門に入った時の名だ。1854年(安政元年)7月20日、甘田平太夫の次男として生まれた。名を五郎という。父は磐城平藩(2万石)の勘定奉行だった。磐城平藩は奥羽越列藩同盟として新政府と戦った。戊辰戦争である。
戦いのなかで両親と妹が行方不明となる。愚庵は、その後生涯をかけて家族を捜し求める。旅回りの写真師となり各地で消息を訪ねた、巨費を投じて新聞にたずね人の広告を出したこともあった。

【写真左】天田愚庵が26歳の頃、旅回りの写真師だった。【写真右】晩年は正岡子規や高浜虚子らと交流があった
天田五郎が山岡鉄舟の縁で次郎長と出逢った4年後には養子となり山本五郎を名乗った。次郎長の息子として富士山麓開墾事業の監督を務めている。出逢った直後から次郎長の武勇伝を書きつづった「東海遊侠伝」の執筆を始め、翌年には書き上げている。「東海遊侠伝」が出版されたのは1884年(明治17)、次郎長の養子になってから3年後になる。本には著者兼出版人として「静岡県平民山本五郎」と記されているという。
「東海遊侠伝」は、講談や浪曲で有名になった「次郎長」の原本である。歴史に「もしも」は禁句であるが、この本が世に出ていなければ、次郎長の名が全国に知れ渡ることもなかったかもしれない。
司馬遼太郎は「坂の上の雲」の後書きで「明治は、日本人のなかに能力主義が復活した時代であった」と書いた。私たちが幕末の動乱期を描いたドラマや小説に心惹かれるのは、人々が新しい社会を目指して目を輝かせている、その熱気が伝わってくるからだ。
2009年秋からNHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」が放送される。大河ドラマとは別枠だが、3年に渡り放送される大型時代劇である。登場人部のなかに、天田愚庵が大きな影響を与えた正岡子規がいる。幕末から明治にかけての時代のなかで、清水の歴史を振り返る材料がまたひとつ増えそうだ。

船橋舎織江の「ゆびまんじゅう」の包装紙に由来が描かれている。晩年の次郎長は子ども好で、店のまんじゅうを次々と指でつぶしては「これじゃあ売り物になんねえずら」といいながら、まんじゅうを懐に子どもの元へ向かったといわれる。
「天田愚庵」へ届いたコメント
正確に申し上げるならば愚庵さんのお墓はございません。愚庵さんは墓を作るな、とご遺言なさったそうなのでお墓は作られませんでした。そうはいっても…とのことで、後になって愚庵さんのご両親の戒名と妹さんの戒名を彫り込んだお墓を建て、そこに愚庵さんの辞世を彫り、ご両親と妹さんのお墓に同居するような形で、歌塚という形式で宝塔が建立されました。京都の鹿王院にございます。
愚庵さんのご実家のお墓は福島県のいわき市平(たいら)にある大宝寺にございます。お父様のお墓は、旧磐城平藩主安藤家の菩提寺である良善寺にございます戊辰戦争戦没藩士の墓が集められた場所にもございます。
柳町の若隠居 | 2010年01月26日
>天田五郎の墓は、どこにあるのでしょうか。
明治37に京都で没していますが、墓については、いわき市の愚庵研究会が
詳しいかもしれません。
http://www.kennan-syuhan.co.jp/furusato/027.html
磯 | 2009年01月04日
天田五郎の墓は、どこにあるのでしょうか。
Mr.Q | 2009年01月04日
愚庵の出身地であるいわき市平の松ヶ丘公園には、
愚庵の旧居が移築されており、顕彰碑があります。
また、地元の夕刊紙を発行している「いわき民報社」
から30年ほど前「東海遊侠伝」の復刻版が出版されています。
愚庵を研究している郷土史家もいるようです。
ポンチャン | 2008年05月23日
幕末から明治にかけての清水は、知れば知るほど楽しくなります。
なにせ清水で最初の小学校は小島に造られました。小島藩の力が大きかった証拠でしょうね。
磯波 | 2008年03月13日
幕末から明治という時代、
我が清水という地域が深く関わっている事に興奮を感じます。
清水という小さな地区が日本の歴史にどのように関わってきたのか
一度じっくり酒でも飲みながら聞きたいものです。(草薙辺りから現代まで)
MARUMA | 2008年03月13日
これまで「東海遊侠伝」の作者ということしか知らなかったのですが、それが愚庵のほんの一部だということが判りました。
次郎長の歴史は、奥が深いです。
磯波 | 2008年03月10日
勤務先のすぐ近くに西国巡礼29番札所、青葉山松尾寺という古刹があり、ここの住職が巡礼の関係で天田愚庵の研究をされています。住職には一度遊びに行きますといいながら、すぐ近くなのに、なかなかご訪問できないのが残念。
真丹後 | 2008年03月10日