(39)擂鉢山(すりばちやま)

「袖師ふるさとの道39番」の看板は擂鉢山の登り口にある。この道の他にもいくつかの道がある。
鹿島神社の鳥居前の道路を山裾沿いに秋葉山に向って少し歩くと、新幹線ガードより手前に斜めに入る狭い道がある。袖師ふるさとの路39番「擂鉢山登り口」である。
明治22年の地図に記された擂鉢山の標高は37.3メートル、現在の地形図では36.3メートルと1メートルの差がある。これは戦争末期、山頂に高射砲陣地を造るために山頂を削ったためであろう。
米軍の攻撃から郷土を守る役割がどの程度にあったのは不明だが、この場所に立って清水港を見下ろすと、陣地として最適だったことが、素人にも判る。絶景という大袈裟な言葉は似合わないが、何度来ても見飽きない景色が、この山頂にはある。

擂鉢山から清水駅方面を見る。中央に見える小さな森は矢倉神社である。

擂鉢山の山頂にある案内板。ここに古墳と高射砲陣地があったことが記されている。
擂鉢山と秋葉山の間に南光山があったが新幹線の工事で山が消えた。「南光」というバス停のは、その名残である。
小学生の頃、秋葉山さんから山伝いに鹿島神社までよく歩いた。擂鉢山にあった防空壕跡は、中に入ることはできなかったが、秘密基地の雰囲気があってお気に入りスポットだった。
防空壕跡からは、新幹線の工事がよく見えた。山の形が変わってゆく様子は、故郷の変化というより、明るい未来が一歩づつ近づいてくる高揚感があった。そんな時代だった。

擂鉢山から秋葉山を見る。新幹線の線路に南光山があった。バス停の「南光」に名前だけ残っている。
擂鉢山は、秋葉山公園のなかで一番見晴らしの良い場所である。山は石段が造られ、山頂まで垂直に上れる。早朝の広場には、ウォーキングを楽しむ人たちや、愛犬の散歩をする人たちが、日差しが高くなる頃には、幼い子どもを連れた家族で賑わっている。
雑木林の中を枯葉に足を滑らせて遊んだ記憶からすると、「公園」は綺麗過ぎて物足りない。でも、昭和30年代の小学生体験も、空襲や艦砲射撃に怯えた世代からすれば、「気楽な時代」と一笑に付されそうだ。

秋葉山公園の広場から擂鉢山を見る。名前の由来は擂鉢を伏せたような形から来ているが、広場から見ると古墳を連想する形だ。
5月3日の朝、友人たちと擂鉢山から、西久保古道を通って龍雲院、神明宮まで歩いた。約90分の散策の最後に、鹿島神社から擂鉢山に戻るため、「袖師ふるさとの路39番」の登り口を歩いた。
ほんの数十メートルの山道だが、雨上がりで濡れた草が道を覆い、靴やズボンが濡れた。ズボンの裾を濡らしながら歩くのは、何年ぶりだろうか。山歩きではなく、近所の山となると、小学校以来かもしれない。ほんの数分、新幹線が出来る前の時代にタイムスリップしていた。
「(39)擂鉢山(すりばちやま)」へ届いたコメント
六さんが紹介してくれた空中写真アーカイブを見ていたらあっと言う間に1時間近く過ぎてしまいました。皆さんも思い出の土地を訪ねてみたらいかがでしょうか。
磯谷さんがこのブログを作る際に資料にしている「袖師町誌」の最初のページにある空中写真はもう少し古く、清水工高の造成前の写真ですね。私は秋葉山の森と鹿島さんの森は一つの山だと思っていましたがそうではなかったのですね。
二つの空中写真を見ていて、袖師海水浴場の広さに気づきました。親に連れられて行った記憶はありますが、最盛期の記憶はありません。私が一人で海に行けるようになった昭和41年頃(3年生)には遊泳禁止になっていましたから・・・。
嶺の子 | 2008年05月06日
生まれて初めて秋葉丘陵上を歩きその全貌が見えてきて感動しました。
「袖師ふるさとの路39番」の登り口からの道ではすぐ前を歩いての「露払い」申し訳ありませんでした(笑)
国土地理院の空中写真アーカイブを見たら「MCB611-C18-20」昭和36(1961)年撮影に新幹線が丘陵を断ち切る前の姿が映っています。
しかもすぐ脇では1961年開校の清水工業高校がやっと敷地造成が終わったくらいの姿で写っており、取り壊し工事現場を横目で見ての今回の散歩と曰く言い難い因縁を感じています。
また楽しい企画をお待ちしています。
六 | 2008年05月06日