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2008年08月06日 産業遺産

産業遺産としての清水港線

さよなら清水港線

清水港線の廃止を記念して発売されたセット切符のカバー。このなかに乗車券や入場券など5枚が入っている。

清水駅と三保駅までの清水港線に最後の列車が走ったのは1984年3月31日のことだ。この日、最後の姿を写そうと、たくさんの人が沿線でカメラを構えていたのを覚えている。塚間に続く踏切りで、一旦停止義務違反の反則切符を切られ「三保で最後の踏切り違反」と冷やかされた人もいる。

さよなら清水港線

「おわかれ乗車券」の表と裏。清水~三保が大人140円、小人70円、入場料が大人120円、小人60円だった。

西折戸の高校に通っていた頃、下校時に何度か乗ったことがある。今では、どの高校も自転車通学が圧倒的だと思うが、当時はバスの方が多かった。自転車の代金より、バス定期の方に割安感があったのだと思う。バスが清水駅前~西折戸40円の時代だった。

西折戸からだと、清水港線の折戸駅は少し遠回りになるが、列車内で販売する大判の切符を目当てに乗った。

今でも一部の路線では使われているらしいが、時刻表の路線図のようにたくさんの駅名と路線が印刷された薄手の大判切符である。下車時に改札で渡してしまうから手元には残らないが、この切符見たさに乗ったようなものだ。静鉄電車も車内販売は大判切符だった。

さよなら清水港線

清水港線の廃止を記念して発売されたセット切符のカバー裏側。

8月16日に、南高郷土研究部が「清水港線ガイドウォーク」を企画している。清水の産業遺産である「清水港線」を、現役の高校生が案内する。歩きながら、自分の高校時代にタイムスリップできるかもしれない(猛暑のなかの妄想かもしれないが・・・)そんな期待が膨らんできた。

●清水港線ガイドウォークへのお誘い≫

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「産業遺産としての清水港線」へ届いたコメント

23日の樗牛と国柱会探訪会の盛会を祈っております。貝島の最勝閣は写真で見ると楼閣といいますか天守閣の雰囲気がありますね。このごろ、三保関係の話題が少ないと感じておりますので、近々記事を書こうと思っております。

さて、16日の清水港線ガイドウォークは予定コースが短縮されました。中年参加者の声を反映したの変更だとすると、なんか心苦しくて、頑張って踏破せねばという気になります。頑張るぞぃ!

そういえば23日に明治仏教の研究会を清水で開き、樗牛と国柱会関係の跡地を訪問する予定にしています。水上バスで貝島まで渡って、最勝閣の往時の風景を偲び(というか、無理やり想像して)、高山樗牛関係で龍華寺と清見寺に寄ります。
で、地元の方に質問なのですが、前日にどこか清水らしい居酒屋と思い、金田食堂に行こうと思ったらその日は改装休業とか。総勢8名ほどで入れて、懐が豊かでないが口はうるさい研究者連中(<ろくでもない客だな)が納得しそうな居酒屋、ありましたらご教示ください。

清水ディズニーランドという話で、三保に本部を置いた国柱会の田中智学を連想しました。
智学は、清水が日本の首都になるという予言をしたのですが、そういう宗教的な話とは別に、もっと実際的な提言も残していて、三保にハイカラなリゾートホテルを建てて、東京から観光客を呼ぶべし、とも書いてます。
ディズニーランドは無理にしても、清水港線も富山港線のようにLRTにでもして、静鉄電車とつなぐぐらいは出来たろうに、とも思うのですが。

 清水がディズニーランド建設の候補地だったなんて知りませんでした。もし、清水だったら、“東京”ディズニーランドにはならなかったのでしょうか?

>もしディズニーランドが清水、それも三保方面にできていたら

清水港線は複線化され、その横に静鉄電車が新清水から乗り入れて、入江岡から桜橋のような景色が三保まで続いていたかもしれません。巴川の可動橋は観光名所として全国に知れ渡り、川沿いにレストランやリゾートホテルが林立。三保の観光旅館は公園条例の高さ制限の例外指定となり、超高層ホテルが林立。松食い虫の被害が広がっていた三保の松原は、湯水のごとく入ってくる法人税の恩恵で最新の対策が施され昔の元気を取り戻し・・・・。

真夏の夜の夢ですかね・・・

千葉県浦安市にある東京ディズニーランドは、当初その建設候補地として清水が挙げられていたそうです(ウィキペディア「東京ディズニーランド」より)。もしディズニーランドが清水、それも三保方面にできていたら、あるいは清水港線の廃止もなかったかも知れませんね。もっともそれ以前に清水の産業構造が激変していた可能性もあるのですが・・・おっと与太話で済みません。赤字ローカル線であるが故に廃止は避けられなかったのでしょうが、静鉄の路面電車共々、もし今も残っていたら、いったい清水はどんな街になっていたのでしょうか?

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