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2008年12月04日 雑記帳

思案の12月

12月の気ぜわしさ

12月に入ると、なんとなく気ぜわしい。雑事を年内に片付け、さっぱりした気分で新年を迎えたいという願望と、それが実現できない苛立ちのようなものが、根っこにあるのかもしれない。

しかし、そんな苛立ちも、年が明けると、すべてが「春の海」の音色に棚上げされてしまう。年明けには便利な機能が隠されている。

12月の気ぜわしさ

ずいぶん前だが、部屋にある棚や、押し入れのなかを整理しようと奮起したことがある。引越と同じで、しまい込んである品々を広げてみると、膨大な量に驚く。山積みにされた品々のなかに忘れていた物を見つけることもあり、大掃除がいつのまにか宝探しになっている。

それでも、広げた物をそのまま放置する訳にもいかず、分類しながら片付ける。捨てる物もたくさんでるのだが、片付けた後に空きスペースがない。捨てた分だけ広くなったはずなのだが、それがない。

ヤツデの花

空きスペースが生まれないのに、ゴミが発生するという事態は、それまでの努力が「やったぞ」という達成感ではなく、「ばかばかしい」という徒労感に変わる。更に悪いのは、新しく発生したゴミを処分しなけらばならないことだ。「やらないほうがよかった」と後悔する。

それだけならまだいい。何か調べ物をしていて「あの資料が、ここら辺にあった筈だ」と探そうとするが、見つからない。捨ててないはずだが、見つからない。ここまで来ると、やったことへの罪悪感に苛まれる。
かくして、結果を予測し危機回避をすることになる。やる前から白旗を挙げているようなものだ。

何かをやろうとするとき、動機付けは単純だが、なにかを辞めようとする時、理由はいくらでも出てくる。「やらざぁ」と気持ちを引き締めるか、「ええら」と諦めるか、12月は思案の月である。

12月の気ぜわしさ

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