次郎長のターニングポイント

7日の朝、清水ふるさと塾ウォーキングで明治26年の次郎長葬列と同じ道を歩くが、時間の関係で「壮士の墓」はコースに入れていない。
久しぶりに「壮士の墓」を訪れた。
「壮士の墓」は明治新政府軍の襲撃で殺され、海に捨てられた幕軍の遺体を次郎長が子分に命令し、引き上げ、埋葬した場所だ。「死ねば皆同じ」と敵味方の区別なく弔った。次郎長の行いを駿府藩幹事役の山岡鉄舟が感激し、親交が始ったという。
次郎長が侠客として街道を奔走した日々と、明治という新しい時代のなかで清水の繁栄の礎を築く役割を果たした晩年とのターニングポイントになっているのが「壮士の墓」だ。
2009年1月6日付静岡新聞の夕刊コラム「窓辺」に静岡地方気象台長の饒村曜氏が、この時の咸臨丸の艦長だった小林一知が、後に中央気象台長(現在の気象庁長官)となったことを紹介している。
勝海舟もそうだが、幕府軍の海軍を指揮した人材が、明治新政府のなかで要職に就いている。優れた人材だったことは当然のことだが、幕府と新政府の戦いは、何百年前から続くという海外の争いとは違った世界だったのかもしれない。

「次郎長のターニングポイント」へ届いたコメント
早朝からの参加ありがとうございました。
次回の予定は、これからですが、HPなどでお知らせしますので
是非ご参加下さい。
磯 | 2009年06月09日
磯谷さん
今日は、とても楽しい そして勉強になるウォーキングを実施して頂きありがとうございました。
最後の感想でも述べましたが、次郎長翁の事にとても興味が湧いて来ました。自分なりに又勉強したいと思っています。
次回も楽しみにしています。これからもよろしくお願いします。
鹿島山 | 2009年06月07日