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2009年06月09日 清水

美濃輪稲荷神社

美濃輪稲荷神社

敷き詰められた正方形の石は七夕豪雨で廃線となった静岡鉄道清水市内線の敷石である。

6月7日に開催した、清水ふるさと塾ウォーキングで梅蔭寺から美濃輪稲荷神社へ向った。神社の出口に「山本長五郎」と記された石柱があるからだ。

明治新政府の時代になり、日本は欧米に追いつくため近代化を急いだ。近代化の中身は鉄砲や軍艦を買い求めることだった。当時の欧米列強との貿易は物々交換で、日本は外国人が高値で買い求める品々を探し、総力を挙げて生産した。その代表が生糸とお茶である。女工哀史と同じような世界がお茶の生産にもあったと思う。

幕末から明治にかけて生産された茶葉のほとんどが輸出された。たまたま欧米で評価された茶葉を、集中的に生産した。輸出依存は明治の時代に始っていた。

「山本長五郎」と記された石柱

次郎長は、お茶の輸出のため共同で海運会社「静隆社」の設立に関わった。しかし、株主名簿にその名前はない。横浜での動向については謎の部分が多いが、美濃輪稲荷の石柱は「静隆社」との関わりを示している。

次郎長が生涯を閉じたのは6月12日。直後から各地の親分衆に通知が発せられ、葬儀の日には地元の人を中心に3000人が参列したという。当時は今ほど暑くなかったのかもしれないが、梅雨入り前の日差しは強かったと思う。

ポートサイドジャズ

6月7日、ドリプラのデッキではポートサイドジャズが開かれていた。潮風に吹かれてのジャズライブは、清水のイベントとして定着したようだ。

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