鋳物師町みなと祭り会

「鋳物師町みなと祭り会」が開かれた鋳物師町公園は、第2分団の近くにある小さな公園だ。表通りに面していないから、ここに公園があることすら知らなかった。
7月20日に開催した、第62回清水子ども会球技大会の打ち上げ(慰労会)に体育部の仲間たちが集まった。大きな行事が終わった安堵感もあって、楽しい時間を過ごした。夜10時、お開きにして、近くの公園で開かれている「鋳物師町みなと祭り会」に出向いた。メンバーのひとりが、役員として参加していたからだ。
辻、江尻、浜田などの地区では、それぞれの町内で「みなと祭り」を行う。小さな公園や空地、保育所などに櫓を組む。近所の顔なじみが集まる。会場のどこにいても全員の顔が見える、密度の濃い祭りだ。
「鋳物師町みなと祭り会」は、総踊りと同じ8月1日に行う予定だったが、悪天候が予想されたため、一週間延期して、8月8日になった。ぐずついた天気だったが、総踊りは予定通り開催された。屋外行事の天候判断は難しい。
一週間遅れの「鋳物師町みなと祭り」は太鼓が響き、かっぽれや地踊りで賑わっていた。踊りが終わったのは夜10時半。「毎年やってるから、近所の人も承知してる」と、役員さんが笑う。夜遅くまで、踊りが出来るのは、地元の人たちのつながりが強い証拠かもしれない。
江尻宿周辺の紺屋町、鍛冶町、本郷町、辻町、鋳物師町を「宿五町」と呼ぶ。旅客を宿泊させる場ではなく、職人や農業、漁業に従事する人が住んでいた。江尻宿をサービス業とすれば、「宿五町」は一次、二次産業を担っていた。
鋳物師町という名前の由来は、幕府御用の鋳造師棟梁山田六郎左衛門の細工所が、この辺りにあったからだ。代々、六郎左衛門の名前を継ぐ棟梁は家康が、豊臣との戦いの口実にした 「国家安康」の釣鐘の鋳造にも関わっていたという。
幕末には武器の鋳造なども手がけたという鋳物師町だが、当時を偲ばせるものは残っていない。だが、夜更けの踊りを見ていると、ここは、住居表示の「江尻東2丁目」ではなく、家康の時代から続く「鋳物師町」であることを実感する。
「鋳物師町みなと祭り会」へ届いたコメント
効率一辺倒ではなく、昔の地名を復活させている町も
あると聞きます。地元に根付いたやりかたを模索して
いるのだと思います。(うらやましいです・・・)
磯 | 2009年08月17日
行政の都合で由緒のある町名が無くなってしまうのは残念です。「鋳物師町」が公園やお祭りに残っているのはうれしいですね。
旧鋳物師町の通りも商売をやめた店舗がかなり見受けられ、元気がない感じ。物静かな通りになってます。
小梅 | 2009年08月12日