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政令市?(その2)
いつどこで決まったのか(後)

合併協議会 90年(平成2年)11月、静岡経済同友会が主催したシンポジウムに出席した宮城島弘正清水市長と、天野進吾静岡市長は「2001年元日を政令指定都市誕生の日」とすることで意見の一致をみた。

 しかし、清水市で議決として政令指定都市が登場するのは、98年(平成10年)1月の合併協議会設置決議に添付した宮城島市長の意見書である。経済同友会のシンポジウムから8年後だった。

宮城島清水市長の意見書

 96年(平成9年)9月、清水青年会議所(JC)は住民発議による合併協議会設置を求める署名簿を提出した。翌年1月、清水市議会が合併協議会設置を可決した際に、宮城島市長は意見書を付けた。

「今日、広域的な地域の振興整備推進や行政需要への対応、また、地方分権推進等の観点から地域社会に関する多様な行政を自主的、自立的に展開していくことが求められている。こうした中、本市の将来を考えるとき、政令指定都市化を視野に入れた市町村合併の議論は、避けて通れない問題であると認識している。」

 宮城島市長は「議論は避けて通れない」と、静岡市との合併や、その先にある政令市への移行についての態度をあいまいに表現した。しかし、この意見書は政令市に向けて清水市が歩み始めた証拠として、議会での答弁で使われてゆく。

人口要件緩和の意見書

 99年(平成11年)11月、清水、静岡両市長は国に対して政令市移行への人口要件緩和の要望書を提出した。政令市は法的には50万人以上だが、実際には100万人が必要とされてきた。この人口要件を70万人台へ緩和を求めたのである。

 翌年10月、清水市議会は議員から出された「政令指定都市の人口規模緩和に関する意見書」を採択する。意見書は、「新世紀にふさわしい静清両市を中心とした政令指定都市の誕生を実現」するために人口要件の緩和を求めた。

行政が作った「市民会議」

 00年(平成12年)12月、第17回合併協議会は政令指定都市についての検討は別組織を作ることを決めた。翌年2月の第18回合併協で、事務局は次のように説明した。

「政令指定都市問題にかかわる別組織につきましては、現在静岡・清水両市と、両市の商工会議所の4者によりまして、その設置について協議しているところであります。現在協議中ではございますが、その概要といたしましては、1つには組織の趣旨につきましては、静清地域の各界各層によりまして、新市の政令指定都市移行に向けた運動を展開することでございます。2点目で、仮称ではございますが、名称は「静岡市・清水市政令指定都市市民会議」で、設立の時期といたしましては、新年度早々に設置できるよう、準備を進めているところでございます。組織につきましては、設立趣旨に賛同いたしました各種団体に、参加をお願いしていくことを考えているところであります。」(第18回合併協議事録から)

政令指定都市市民会議のチラシ こうして、01年(平成13年)4月に両市の各種団体が名前を連ねた「静岡市・清水市政令指定都市市民会議」が結成された。

 「市民会議」は02年12月に、両市で「市民会議だより」を配布した。このチラシには構成する団体名が一覧表で書かれている。合併協では「静岡・清水両市と、両市の商工会議所の4者」で設置を協議していると報告されたが、構成団体名に清水市と静岡市の名前は出てこない。

 昨年10月、清水市議会で政令市移行に対する市民の意向について総務部長は次のように答弁した。

 「平成13年4月には、政令市を目指すため、市民レベルにおける啓発活動、関係機関の要望活動を行うことを目的に、静岡市・清水市政令指定都市市民会議が、両市商工会議所、連合自治会、女性の会など19団体で発足いたしました。この会議も本年度は文化団体、スポーツ団体、経済団体など、173団体に拡大されており、多くの市民団体が政令市実現に向けての意向を示しているものと受けとめております。」(清水市議会議事録から)

 両市の名前を外すことで、「市民会議」は「政令指定都市実現に向けた取り組みを行う民間組織」であることを印象づけようとしていた。

知らない内に決まってゆく

 政令指定都市を目指すことが、いつどこで決められたのかを調べてゆくと、誰もが納得する決定がされていないことに気が付く。

 合併協設置での市長の意見書も、人口緩和を求める意見書にしても、それらが議決された時点で、政令指定都市を目指すために絶対条件となる清水市と静岡市の合併が決定していない。

 合併協議会は02年3月20日の第29回で賛成36、反対3で合併を決め、これを受けた両市議会は3月19日に、合併を議決した。最後に合併することが決まったのである。

 政令市を目指すための必要条件である両市の合併が最後に決まり、合併が実現しなければ意味を持たない政令市実現に向けた人口要件緩和を求める決議が先に行われている。

説明責任を果たしていない

 合併協議の最終段階で「ここまで来たら戻れない」という弁解のような説明をする人がいた。「外堀を埋めらた」という人もいた。なし崩し的に合併が決まったと多くの人が感じている。

 しかし、ある日突然決まった訳ではない。一段づつ階段を登ってきた結果である。議会や行政が説明責任を果たしてこなかったから、多くの市民が「知らないうちに決まってしまった」と感じているのではないだろうか。

(03年5月19日)

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